2016年5月9日月曜日

リハーサル

だんだんと金沢コンサートの日も近づき、いよいよ今日がひとまず仕上げのリハーサルということになった。
 きょうは東京の拙宅に、北山ドクター、バンドネオンの力石さん、そしてピアノの五味君と集合して、一通りの曲目を試みた。私自身は、まだまだ仕上がるところまで到達せず、これから一汗かいて努力しなくてはなるまいと思っているところである。
 が、北山ドクターは、もう本番さながらの万全の仕上がりに近く、堂々たる歌声にはうならされた。ぜひ、私もこういうふうに歌いたいものだと、密かに期するところがある。
 リハが終ったあとは、私の手料理にて夕食をともにした。
 きょうのメニューは、まず林特製ハヤシライス、とまあ洒落のようだが、もともとこのハヤシライスというのは、丸善の早矢仕有的(はやし・ゆうてき)が考案したものとされているので、林望が作ってハヤシライスというのは、別に洒落でもないのである。このハヤシライスは二日がかりで念入りに作ったのでかなり手間ひまがかかったが、それなりに美味しくできて、皆さんに喜んでいただいた。それからコールスロー、これはイギリス定番のキャベツのサラダである。手前の鉢に入っているのは、筑前煮で根菜を主とした煮物ゆえ、三つ揃えて栄養的に万全を期したというところである。
 さあ、これからまた練習、練習。

2016年5月6日金曜日

地には菜の花

世の中はゴールデン・ウイークだというので、さぞかし道が混むだろうと思い、毎年この時期は外に出ないで過ごしてきたのだが、今年は、ふと思い立って、三連休の中日五月四日に信州信濃大町の山荘へやってきた。すると、この日は中央高速はまったくガラガラに空いていて、三時間半ほどで到着することができた。こんなことなら、毎年来ようかなあと思っているところである。
 今回は、北山ドクターも、御母堂を伴って来村されたのだが、折しも新緑が滴るようで、その美しさは御母堂にも大変喜んでいただけたそうである。まことにめでたい。
 しかし、私の方は、どういうわけかひどい寝違え状態で、まるで首が回らず、その痛みでろくに夜も眠れないありさま。とはいえ、喧騒を離れて、新緑滴るごとき信州の天地に遊んでまことに心の保養になった。
 きょうは、北山ドクターと同道して、白馬のほうまで蕎麦など食べに行った。快晴の空のもと、芽吹きの山には、まだ桜も残り、地には一面の菜の花、そして田には満々と水が張られて、いよいよ田植えの時期となった。
 信州のもっとも美しい佇まいが、そこにあった。一年に何度とない好日である。

2016年4月18日月曜日

松阪行

先週の土曜日に、松阪の本居宣長記念館の主催で、鈴屋学会が開催され、そのまあ、一種の基調講演を頼まれたので、宣長の愛して止まなかった『源氏物語』について、いささかの講釈をしてきた。
 松阪には、初めて足を踏み入れたのだが、さすがに江戸時代には紀州藩の治めるところであったという歴史を思わせる、どこか丈高い風格のある町である。今回は、あいにくに奥歯が痛み出すというハプニングに襲われ、本来は、講演終了後もう一泊して松阪のそちこちを探索してくるつもりだったのだが、それも今回は諦めて、ただちに帰途についた。それゆえ、せっかくの松阪をろくに見ることもできなかったのは、はなはだ心残りと言わねばならぬ。いずれまた再訪の機会もあるであろうということを期待して、今回はまっすぐに帰ってきたのであった。
 ただ、同記念館の館長吉田悦之先生のご案内で、同館の誇る豊富な宣長自筆本の展示を逐一拝見し、極めて深い感銘を受けた。宣長にはいままでやや縁遠い感じであったけれど、知れば知るほど、私自身と共通する思念の存在を感じ(恐れ多い言いかたではあるけれど)なんだか他人のような気がしないのであった。
 また隣接地に移築されている宣長の旧居にも館長じきじきのご案内を頂き、特別に宣長の書斎にも参入することを許されたのはまことに望外の幸いであった。
 清潔質素、そして大きく開かれた窓の外には緑が滴るようで、もともとあった場所では山や桜が窓外に望見された由である。この床の間の一行書きは宣長にとっての心の師であった賀茂真淵の霊位を表したものである(この字は宣長の自筆)。
 『源氏物語玉の小櫛』を読むと、宣長が源氏をどういうふうに読み味わっていたかが解るが、それは私も、自分自身の考えを書いたかと思うくらい同感するところである。まあ、そんなことも少しばかりお話しながら、講演そのものは物語のなかで紫上がどのように描かれているかという、その創作意図を探るという方向でお話をし、例によって謹訳源氏の朗読なども交えてお聞き頂いた。
 松阪はよいところ、ぜひまたゆっくりと訪ねたいと思っている。

2016年4月6日水曜日

タンゴの時代

(詳細なデータは、この画像をクリックすると大きく表示されますので、拡大表示の画面でご覧下さい)⇒東京の紀尾井町サロン公演のほうはチケット完売になりました。金沢アートホール公演のほうはまだ多少残席がございますので、揮ってお申し込みください。
いよいよ、私どものコンサートのチラシが出来てきました。
五月の金沢コンサートと、六月の東京コンサートは、同じプログラムなので、この一枚で共用することにした次第です。
 金沢市アートホールのほうは、300席ほどのキャパシティがあるので、まだ余裕がありますが、紀尾井町サロンホールのほうは、80席しかない小サロンなので、すぐに完売満席となることが予想されます(去年の十二月のコンサートのチケットはあっという間に売り切れとなってしまいました)。
 ですので、もしご来聴希望のかたは、いずれもお急ぎ、上記連絡先までチケットのお申し込みをいただけますよう、お願い申し上げます。
 コンサートのプログラムが一部変更になりました。

  第一部
  こいつぁだめさ(ガルデル作曲『Por Una Cabeza』の林望訳詩版)
  勁き心で(カナロの『Corazon de Oro』の林望訳詩版)*
  あなたの診断(インストルメンタル)
  いまひとたび(高木東六作曲、旧題藤浦洸作詩『古い港』林望新詩版)
  遠い春(高木東六作曲 野上彰作詩)*
  悲唱(高木東六作曲 門田ゆたか作詩)*
  忘られぬ夢(高木東六 鳥羽俊三作詩)
  (休憩)
 第二部
  君帰る日は(ガルデル作曲『El dia qe me Quieras』の林望訳詩版)
  黒猫のタンゴ(パゴーモ作曲 おおのみずほ訳詩)*
  オブリヴィオン(ピアソラ作曲、インストルメンタル)
  リベルタンゴ(ピアソラ作曲、インストルメンタル)
  霧子のタンゴ(吉田正作詩作曲)
  だんご三兄弟(内野真澄・堀江由朗作曲、佐藤雅彦・内野真澄作詩)*
  など・・・(*印は二重唱)

 目下、私どもは信濃大町の山荘に一堂に会して、リハーサルを重ねております。どうぞみなさま揮ってお運びくださいますよう、心よりお願い申し上げます。

2016年3月29日火曜日

デュエット練習


 昨日の日曜日は、信濃大町に集合して、北山吉明先生とふたり、今回のコンサートのための練習に励んだ。
 なにぶん今回は、初めて接する古い和製タンゴ(高木東六作曲)が何曲もあり、しかも独唱もあれば二重唱もあるというわけで、まずは少し回数多く稽古をしなくてはということになった。
 幸いに、北山先生の大町エコノミスト村内の山荘「蓁蓁居」も新装なって新居開きということになり、そのhouse warming を兼ねて、練習をすることになったのである。蓁蓁居は、私の山荘翠風居から歩いて二三分のところにある。
 いくつかの良く知られたアルゼンチン・タンゴも含めて、メインはタンゴ。コンサートも『タンゴの時代』と題したことゆえ、今回は、金沢在住のバンドネオンの名手力石ひとみさんにも加わっていただいて、タンゴ初心者たる私どもの、たのもしい支柱となっていただいた。
 今回の練習の伴奏ピアノは、金沢在住の中田佳珠(かず)さんが参加してくださった。
 美しい森のなかの蓁蓁居には、薪ストーブの火が燃えて、たいへんに居心地のよい家である(写真で私の顔が赤らんで写っているのは、ストーブの火が暑くて火照っているのである)。そこで、まずはこけら落としとして、こうして楽しく一日を歌い暮らした。まもなくチラシも刷り上がってくるので、そしたら、またここにそのチラシを掲載しようと思っている。乞う、ご期待。
 

2016年3月16日水曜日

私の朝食


 ずいぶんまた更新をさぼっていたことを申し訳なく思っています。
 じつは、『謹訳平家物語』の第三巻を書き上げるのに専念していたこともあり、なかなかここにご報告することがありませんでした。
 しかし、それも無事完了して、現在のところ四月の末には、第三巻がリリースされる見込みとなっております。

 さるところ、きのう、『サライ』という雑誌に頼まれて「私の朝食」という取材を受けた。しばらく前にも、別の雑誌で同じような企画があり、それにも出たので、やや重なるところが避けられないけれども、まあ朝食はそれほど変ったものは食べないので、すこしだけ変化をつけて出すことにした。今回の献立は、ほんとに毎日の朝食というのに近く、ご覧のように、ソーセージとブロッコリの茹でたのが主菜で、そこにフルーツトマトをサイドディッシュとしてつけた。これには「便利で酢」というトキワという会社の作っている調合酢と黒胡椒がかけてある。この食べ方はトマトの調理法としてベストではないかと、私は密かに思っているところである。主食としては自家製食パンのココナッツオイル焼き、それに自家製柿コンポートをジャム代わりに添えた。左上に見えているのはデザートで、これは「デコポンのピザ」である。なに、できあいのピザ台に、デコポンの実を剥いて散らし、そこに砂糖と黒胡椒を適宜蒔いてから、低脂肪の融けるチーズをのせて、250度で6分ほど焼いた、それだけのものだが、これがまた実に美味しいデザートである。たまたまピザ台とデコポンがあったので、試しに作ってみたら大成功であったという次第。どうか皆様もぜひ、夏みかんや伊予柑などでお試しあれ。ほかに、飲み物はミルクティ、そして無脂肪ヨーグルトとヤクルト400を一本。実際には、この朝食は二人前である。
 このサライの記事は、五月発売の六月号だという話なので、まだだいぶ先のことであるが、刊行の暁には、ご覧いただければ幸いである。

2016年1月21日木曜日

丼の美学

以前、どんぶりを蒐集しているという随筆を書いたことがあった。それを読んだテレビ制作の人が、NHK衛星放送第一で放映している『美の壺』という番組に出てくれないかと言ってきた。いやなに、私のどんぶり蒐集ってのは、とてもとても美術番組に出てお見せするようなものではなく、そこらの安物を面白がって集めているにすぎないからと、一生懸命にお断りしたのだが、「いや、その大衆性にこそどんぶりの本質があるというものですから、ぜひぜひぜひぜひ」と重ねてお願いされてしまって、しかたない、この上は恥をかきに出てみようかと、また例の物好き魂が蠢動して、とうとう正月早々に出ることになった。といっても収録は私の自宅でというので、いままで孫どものおもちゃ棚になっていたところを急遽片付けて、そこにそれらしく丼どもを並べつつ、なんとか格好をつけた。
 じっさい、私の丼コレクションは、まことに大衆的なもので、決して中島誠之助さんにお見せするようなシロモノではない。しかしながら、丼ってのは、そこらの大衆食堂で、職人衆などがガツガツと昼飯をかっこんだ、そんな場面に出てくるもので、とりすまして茶懐石などに出てくる器とは、もともと出自来歴が違い、この大衆的なたたずまい、安い価格、大量生産の産物、というところにこそ、もっとも大切な「価値」がある。いま写真でたまたま手にもっているのは、まあ幕末くらいの伊万里であるが、これはもともと大中小三つ揃いの入子鉢であった。その大中は人に進呈して、いちばん小さいのを丼がわりに手元に残したもので、もともと丼ではない。なかには、幡ヶ谷の大衆食堂コニシが店じまいをするので店先に「どうぞご自由にお持ちください」と出しておいたのを、ひとつ結縁までに頂戴したものやら、靖国神社の青空市で300円で買ってきた、正真正銘の立ち食いそば用の超安物やら、いろいろである。しかし、もともとたかが泥をひねったような茶碗をたいそうな金額でやりとりするという茶道などの世界が、あれは俗物根性というもので、私はいっこうに感心しない。それよりも、みなさまのお役に立てれば結構ですよと、ぐっとへりくだって丈夫につくられた大衆食器どんぶりのほうに、私ははるかにはるかに親密の情を覚えるのである。たまたまこの日は声楽の稽古日にあたっていたので、秘蔵のコニシ丼に、みずから調理した親子丼を盛って、我が親愛なるピアニスト五味こずえ君にご馳走したのであった。写真の棚の背後に飾ってある絵もすべて私の作品である。左から「雨上がり」(水彩画)「The Manor, Hemingford Grey」(鉛筆画)「花嵐」(パステル画)。ちなみに、放送は2月26日金曜日の七時からと聞いた。