四谷の近くに、雄松堂書店という出版社と古書店を兼ねた会社があ
る。主に洋書を扱う老舗だが、この会社がゲスナー賞という学術的
な賞を主宰している。これは書誌学的な分野の書物を顕彰しようと
いう賞で、隔年に応募作を募り、「書誌」部門と「本の本」部門と
二部門に分けて、厳正な審査を経て受賞作を決める。現在その審査
が進んでいるところだが、その為に雄松堂書店本社で一日本を睨ん
で過ごした。終って会社から出てくると、ふとその社屋の脇の小路
に心惹かれるものを感じた。どうということもない細道なのだが、
こういう風景のなかに、東京の山の手の、ある独特の雰囲気が漂っ
ているのを感じる。それは根津下谷あたりの下町の路地ともちが
い、郊外新開地の立派な道路とも違う。いわば昭和の住宅地の空気
がまだ消え残っているような、そんな味わいを感じるのである。近
年、この小路はごらんのような石畳になって、それがまた、ふいっ
と右のほうへ曲って行くあたりに、「ああ、この先に何があるんだ
ろう」と思わせてくれるところがある。風景としては、そんなとこ
ろも面白いのである。