この絵は、戦前、下関にあった「稲荷座」という劇場を描いたも
のだが、じつは、この劇場は既に亡んで現存せず、こういう写真も
残っていない。残っているのは、ただ明治三十年くらいに斜め右45度
ほどの方向から撮影された写真のみである。私は、この春、下関市
の広報雑誌「083」の創刊号に特集「橋」というのを書いたの
がご縁で、現在はその編集委員にもなっている。そこで、この雑誌
の編集者のF君からのたっての依頼で、その明治撮影の斜め角度の
ぼんやりした写真から想像して、正面から見たところの稲荷座の絵
を描いてくれないかということになり、せいぜい想像力を逞しくし
て、これを描いた。現在発行されている「083」に、これは特
集頁のカラー扉絵として掲載されている。しかし、もともとはこう
いう墨絵で、B4版ほどの紙に描いてある。同特集に坂東玉三郎さ
んが出ておられるということで、この絵では、看板や紋所などすべ
て玉三郎さんのそれに描き変えてある。下関とはそういう面白いご
縁があって、今後とも折々に足を運ぶことになりそうである。下関
あたりは、海があって山があって、古い家並みがあって、私の好き
なところである。